垣添忠生

2007年4月、私は国立がんセンターの総長を定年退職し、これからは妻と2人、旅行をしよう、好きな絵を描いていこうと思っていました。その矢先、妻が肺小細胞がんで亡くなったのです。 40年間一緒に暮らした相棒がいなくなり、完全にうつ状態になりました。食欲がなく、無理をして料理にはしをつけても味がしない。夜は睡眠剤を飲まないと眠れない。体重は3日間で3キログラムも落ちました。 それからは酒浸りの日々でした。浴びるほど飲み、生活はめちゃくちゃ。朝起きて新聞を開いても読む気がしない。玄関で妻の靴がチラッと目に入ると涙が噴き出してくる。妻と一緒に何度も通った道にさしかかるときも、その頃のことを思い出し、涙があふれ出てきました。 医師という職業柄、これまで数多くの人の死生観に触れてきました。宗教に救われたという人の話もよく聞きました。私は宗教に縁がなかったので、頼ることはしませんでした。この苦しみに一人で耐え、一人で生きていくしかないと思いました。 「もう生きていても仕方ない」。何度こう思ったかしれません。最初の1カ月ぐらいは、心理的な痛みだけでなく、叫び声を上げたくなるような肉体的な痛みも繰り返し感じました。3カ月ほど経つと、少しずつ回復の兆しが見え始めました。妻が天国から見て悲しんでいるに違いないと考えるようになり、気持ちを切り替えるよう心掛けたのです。悲しみが癒えることはありません。でも、時間とともに和らいではいく。時の流れに身を任せればいい。そう思えるようになったのです。以後、心の回復はおよそ3カ月ごとに変化を遂げていったように思います。